若い頃スリムでカッコいい俳優だった渡辺徹さんが敗血症で亡くなりました。
まだ60代の若さでの逝去は惜しまれますが、渡辺徹さんの俳優・タレントとしての半生は病気との闘いでもありました。
年代的に渡辺徹さんの若くてスリムな頃を知らない世代も増えてきていますが、若い頃の画像を振り返ってあんなにカッコよかったという姿を見ていただきたいものです。
若い頃から現在までを振り返って俳優としての渡辺徹さんの歩みを回想します。
また、若い頃から闘ってきた糖尿病から死因となった最近の敗血症に至るまでの病歴をまとめることによって俳優渡辺徹の半生を振り返ってみたいと思います。
渡辺徹 若い頃の画像と現在までの回想!
俳優 渡邊徹のwikiプロフ
渡邊徹さんの俳優としての活動歴は長く、そのwiki風のプロフィールをまずまとめます。
本名:渡辺徹(わたなべ とおる)
生年月日:1961年5月12日
没年月日:2022年11月28日(享年61歳)
出身地:栃木県小山市出生 茨城県古川市育ち
在住地・死没地:東京都
身長:180㎝
血液型:A型
最終学歴:茨城県立古河第三高等学校
活動領域:俳優 タレント 歌手 司会者
著名な家族:榊原郁恵(妻) 渡邊雄太(長男)
渡辺徹 若い頃の画像を振り返る
俳優としてのデビューは1981年テレビドラマ「太陽にほえろ!」で今から42年前でした。
渡邊徹さんがラガーという刑事役でデビューした頃は10台終わりから20代前半でスリムなアクションスターでした。
この頃の体重は69キロですから今のイメージとは違ってアクションスターの俊敏さが光っていました。
1983年には「夜明けのランナー」で映画デビューもします。
歌手としての顔ももっています。
渡辺徹 若い頃から現在までの回想
渡邊徹さんは高校卒業後から文学座に所属していました。
「新劇の東大」とも言われる文学座の研究所に合格、同じく文学座出身の第二の中村雅俊として売り出し、俳優として順調なスタートをきります。
「太陽にほえろ」(日テレ)で新人の刑事役に抜擢されたのも文学座に入って間もない頃でした。
歌手としてもこの頃活躍し、レコードを度々リリースしており、歌番組ややCMでも多彩な活躍をみせています。
1998年のNHK大河ドラマ「徳川慶喜」では、倒幕に向け、次々とあくどい所業を企て実行していくイメージで西郷隆盛を演じています。
その後、テレビで司会者としての才能を発揮し、俳優だけでなくマルチタレントのイメージができていきます。
最近では、2022年11月19日、「心臓病とともに元気に生きる」をテーマにした秋田大学医療フォーラムに参加したのが生前最後の仕事となりました。
その後体調が悪化し敗血症のため入院生活に入っています。
渡邊徹 糖尿病・敗血症等病歴まとめ!
渡邊徹さんは若い頃から1日6000kcalを摂取する大食漢として知られ、30歳で急逝糖尿病を発症しています。
結婚後は妻の榊原郁恵さんの協力で食生活を「コントロールできていましたが、地方公演などでははめをはずしてしまい、悪化の方向に拍車をかけることになりました。
出演の旅に高級料理を食べるTBSの「料理天国」にレギュラー出演したのをはじめ、大食い・グルメ系番組への出演を次々こなしていました。
体重が120キロまでいったこともあります。
糖尿病の影響もあったのか、2012年には足が思うように動かなくなって「虚血性心疾患」という冠状動脈の硬化も発覚します。
この頃はその影響で体重が79キロに激減し、榊原郁恵さんに束の間の喜びを与えました。
しかし、闘病生活は悪化の一途をたどり、2016年には腎機能の低下のため人工透析。
2021年4月には心不全につながる恐ろしい大動脈弁狭窄症を引き起こし、出演舞台の全公演が中止になります。
7月にはいったん回復し復帰会見を開くまでになりますが、2022年には敗血症の治療を受けるようになり現在に至っています。
11月28日午後9時1分、東京都内の病院で死去し、訃報は12月2日に公表されています。
俳優としてマルチタレントとしての渡辺徹さんの半生は容易ならない難病と向き合った反省でもありました。
まとめ
渡邊徹さんのwikiプロフィールや若い頃の画像からアクションスターとして活躍していた頃を回想しました。
また、渡辺徹さんの病歴をまとめながら、その反省は難病と切っても切り離せないものだったことを改めて確認しています。