五年に一度のピアニストの難関、ショパンコンクールで2021年見事2位を受賞した 反田恭平氏の実力がいかに凄いものであるかを調査した。
また、11月28日23:00~23:30TBS系の「情熱大陸」でもショパンコンクール2位の快挙とその舞台裏が描かれる。
反田恭平氏のプロフィール情報を補完してまとめてみた。
反田恭平 2021年ショパンコンクール2位の実力の凄さ!
ショパンコンクールとは?
ショパン・コンクールは音楽コンクールの最高峰であり、5年に1度しか開催されない。
ベルギーの「エリザベート王妃国際音楽コンクール」やロシアの「チャイコフスキー国際コンクール」と並んで「世界三大コンクール」とも称されている。
スポーツでいえば、テニスのグランドスラムのようなものである。
反田さんの2位受賞は、1970年に2位を受賞され、今も世界の一線でご活躍の内田さん以来、51年ぶりの快挙と言われる。
1965年のショパン国際ピアノコンクールで、日本人として初入賞したのは田中希代子の1955年で、それから10年ぶり2人目の入賞者として広く知られているのは中村紘子さんで、日本人との関わりの歴史も古い。
反田恭平 2021年ショパンコンクール2位の実力の凄さ
2021年10月21日早朝、「反田恭平2位入賞」のニュースは日本人にとっても大きな出来事だった。
ポーランド出身でパリで活躍したピアノの詩人ショパンの故郷ワルシャワで開催されるショパンコンクールの参加資格は、16歳以上30歳以下。27歳の反田にとっては最後のチャンスだかもしれない。
日本で『最もチケットの取れないピアニスト』と謳われる実力者の反田だが、ショパンコンクール参加はハンパな覚悟ではできない。
ましてや入賞するのは想像を絶する困難なものだった。
それでも反田恭平氏にとっては幼い頃からの夢であり、夢の実現のために度々ポーランドに渡航してポーランド人から直接学んでいた。
反田恭平氏は日本人離れした力強い音でショパンのピアノ協奏曲を見事弾ききった。
そのために必要な肉体改造を実行するためボクシングジムまで通って、自分の可能性を広げようとした。
ショパンといえば、繊細な曲が多いイメージだが、ピアノ協奏曲は弾きこなすのに多大なエネルギーが必要で、体格的なハンデから必要とされる大きな音を出せない、というハードルがあった。
そのハードルを乗り超えて2位に入賞した反田恭平氏は力強い情熱と繊細な感性の両方を表現してみせたことで、日本人演奏家として新しい地平を開拓したともいえる。
反田恭平 情熱大陸でプロフィール公開
反田恭平 wiki風プロフィール
氏名:反田恭平(そりた きょうへい)
出身地:北海道生まれ 幼稚園の年長から東京都で暮らす
生年月日:1994年9月1日(27歳)
血液型:AB型
桐朋学園女子高等学校音楽科出身
その後の来歴では日本とポーランドの両方に渡る学歴が異色である。
- 2013年 – キャンパス特待生として桐朋学園大学音楽学部に入学。 ミハイル・ヴォスクレセンスキーの推薦によりロシアへ留学。
- 2014年 – モスクワ音楽院に「首席(外国人枠の最高得点)で入学」[30]。公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生。
- 2015年 – 創設以来初のピアノ科全額特待生として桐朋学園ソリスト・ディプロマコースに入学。公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生[32]。
- 2017年 – ショパン国立音楽大学に入学。第46回江副記念財団奨学
反田恭平 ピアニスト・実業家としての経歴
反田恭平氏は指揮者、教育者、ピアニストとしての顔をもつが、もう1つ実業家として、自分の事業を行っている。
2018年からはジャパン・ナショナル・オーケストラ代表取締役社長兼CEOを務め、奈良を拠点に活躍している。
ピアニストが設立したオーケストラのための株式会社であり、プロのオーケストラ、日本初の管弦楽団として知られている。
2019年にはイープラスとの共同事業でレーベルを立ち上げ、2020年のコロナ禍ではいち早く有料のストリーミング配信を行うなど、クラシック音楽の普及にも力を入れている。
また海外での活動も増え、2020年1月にパリ、10月にはウィーン楽友協会でデビューを果たし現地の観客から称賛を。若手の音楽家とファンの皆さんを繋ぐコミュニケーションの場となるような音楽サロン「Solistiade」も運営している。
反田恭平 ショパンコンクール2位の実力の凄さ/情熱大陸で公開のプロフィール(まとめ)
ワルシャワのショパンコンクールで日本人としては51年ぶりの快挙となる2位入賞を果たした反田恭平氏の成し遂げた業績の意味と実力がいかに凄いかをまとめた。
TBSの情熱大陸でも公開されるプロフィール・経歴を補完しまとめてみた。