トリル・ダイナスティの経歴・学歴・本名は?茨城からビルボード1位になれた理由が驚愕!

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トリル・ダイナスティ

アメリカの音楽界で最も権威ある音楽チャート「ビルボード」で日本人プロデューサーの名が全米ヒットチャートのトップに出たというニュースは衝撃的だった。

日本人初となる快挙を成し遂げたのは茨城県在住の音楽プロデューサーのTRILL DYNASTY(トリルダイナスティ)さん。

トリル・ダイナスティさんの本名、学歴、経歴についてまとめてみた。

また、トリル・ダイナスティさんがビルボードのトップに登りつめた道は平たんなものではなく、海外で音楽活動を行うための悪条件とも闘っている。

トリル・ダイナスティさんが茨木在住のままビルボード1位になれた理由が驚愕で、ぜひ明らかにしてみたい。

トリル・ダイナスティの経歴・学歴・本名は?

トリル・ダイナスティの本名

TRILL DYNASTY(トリルダイナスティ)という英語名は本名ではない。

海外での音楽活動を見据えて最初からつけていた「芸名」のような役割をもつ名前である。

本名はビルボードの認定の盾から読み取れる。

「Daiki Ishii」(石井ダイキ)という日本語名が載っている。

トリル・ダイナスティの学歴(出身高校・大学)

トリル・ダイナスティさんは日本国籍をもち、地元茨城をこよなく愛し、ずっと在住している日本人である。

生年月日までは不詳だが、1992年生まれで2021年時点で28歳であることが分かっている。

北茨城市で生まれ育ち、野球一筋の生活を送った。スポーツ特待生として県内の大学に進学したものの、肩を故障して中退した。

引用元:茨木新聞クロスアイ

茨城県内で野球の強豪校として知られスポーツ特待生の制度を持っている大学は

「常磐大学」で、「常磐大学付属高校」から推薦を受けられることもあり

トリル・ダイナスティさんが、「スポーツ特待生として県内の大学に進学した」のであれば、最も可能性の高い出身校は「常磐大学付属高校」から「常磐大学」に進学したと考えられる。

トリル・ダイナスティの職歴・経歴

トリル・ダイナスティさんは21歳のときから地元のクラブでDJをつとめた。

昼間は会社員として働きながら夜は作曲活動を行い、睡眠2時間の生活をずっと続けたという。

昼間正社員として働いたのは鉄道車両部品メーカーで、株式会社中村自工 深川製作所(茨城県高萩市)だった。

約6年間勤務した後、2021年に退職したことをインスタグラムで明らかにしている。

アルバイト先の先輩からDJミキサーとターンテーブルをもらったことを機にDJを始め、都内を中心に各地のクラブで活動した。

クラブDJは「みんなが盛り上がる曲」をかけるパフォーマンスを求められ、自己表現の幅が限られる。次第にストレスを感じるようになった。

ある時、友人が「ラップをしたいけど曲が作れない」と話したのをきっかけに、数万円のパソコンとキーボードを購入して2018年から制作を始めた。音楽を専門的に学んだことはない。楽譜も読めない。それでも、あまりの面白さにのめり込んでいった。

「ピアノやギターを使った味のある音楽が好き。それを作る自分がかっこいいと思った」。DJと異なり、楽曲で自分の感性や思いを表現できるのが大きな魅力だった。

■二足のわらじ
平日は会社で働いた後、時に明け方まで楽曲を作る。土日はほとんどの時間を音楽に注ぎ込む。音楽ソフトを使い、ビートやメロディーを打ち込んでいく。

海外の音楽プロデューサーに認知されるよう、会員制交流サイト(SNS)を通して何度も曲を売り込んだ。「音楽を始めるのが遅かったから、早く有名になりたいと思った」

引用元:茨木新聞クロスアイ

つまり、最近まで音楽プロデューサーとして作曲活動をしながら、昼間は鉄道車両部品メーカー勤務の本業をこなしてきた。

トリル・ダイナスティが茨城にいながらビルボード1位になれた理由が驚愕!!

ビルボード1位につながったコミュニケーション方法とは?

トリル・ダイナスティさんが音楽の道に関わるようになったのは彼が21歳の時、地元のクラブでDJとして活動を始めたことで、徐々に都内でも邁進していくうち自分を表現していきたいと考えるようになったと言う。

しかし、彼自身述べているが、DJ活動を進めてから音楽プロデューサーという夢をもったときは、まだドレミさえも分からず、楽譜も読めなかったという。

また、海外の音楽家と接点を持とうにも、英語が読めず・書けず!という状態だったという。

それでどのように自分の楽曲を海外の音楽家に知らせて知名度を高めたのか?

適当に鍵盤を触って耳に入ってきたメロディーが良ければ、どんどん繰り返して曲が出来上がっていくといった作り方なので、音楽に携わってきたアメリカのプロデューサーからしたら、逆に聞いたことがなくて新しい!と興味を持ってもらえたのだとか。

引用元:ゆるっとSTYLE!

作曲の方法も独創的で楽器的だが、もう1つ画期的なのは英語のできない彼はアメリカの音楽プロデューサーにひたすらメールを送り続けたそうである。

しかも、グーグルの自動翻訳を使って1日20通くらい送り続け、結果としてはその継続がビルボードの全米ヒットチャートNo1につながったのだから驚愕である!!

ビルボード1位は中間地点:これから先見据えているのは?

トリル・ダイナスティさんがビルボード1位を達成したのはあくまで通過点にすぎないという。

彼はスタートが音楽活動の遅かったハンデを克服するために、日本でコツコツやるよりも海外で一発当てようという野心をもっていたという。

っその野心に支えられて1日20通もメールを送る忍耐力が継続できたかもしれない。

しかし、ビルボード1位は現時点での通過点と捉えており、「ビルボードは夢じゃなく目標だった。夢はグラミー賞です。」とさらなる野心を語っている。

トリル・ダイナスティの本名・学歴・経歴/茨城からビルボード1位に上り詰めた驚愕の理由(まとめ)

ビルボードの全米ヒットチャート1位という日本人プロデューサーとして初めての快挙を成し遂げた音楽プロデューサーのトリル・ダイナスティさんの本名・学歴・経歴をまとめた。

彼は茨城から離れずどのように知名度を高め、ビルボード1位に上り詰めたのかの理由が驚愕で、その真相に迫ってみた。

 

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