広島カープの堂林翔太選手の存在感が光っています。
2022年の堂林選手はスタメン出場よりも代打で勝負強さを発揮し、しばしばチームの勝利に貢献する貴重な一打を放っています。
堂林選手と言えば甲子園の強豪校 中京大中京高校から広島カープに入団した選手です。
高校時代の堂林選手の活躍は華々しいものがありましたが、エースで4番を打っていたのは本当か、打順やチーム内の位置づけを調べてみました。
また、中京大中京から同じく広島カープに入団した選手に磯村 嘉孝選手(捕手・内野手)がいます。
堂林と磯村を擁する中京大中京高校は2009年の夏、甲子園大会で優勝し日本一となりましたが、このときの未だに語り継がれるドラマを動画とともに再現してみました。
堂林翔太 高校時代は投手で4番?
堂林翔太のwikiプロフ
本名:堂林翔太(どうばやし しょうた)
出身地:愛知県豊田市
生年月日:1991年8月17日(31才)
身長・体重:183㎝ 93㎏
血液型:A型
投打・ポジション:右投右打の三塁手・一塁手・外野手
出身校:豊田市立崇化館中学校 ⇒ 中京大学附属中京高等学校(愛知県名古屋市)
プロ入り:2009年ドラフト2位で広島カープ入団
堂林翔太 高校時代はエースで4番?
堂林選手は中京大中京高校に入学すると1年春からベンチ入りしており、強豪校で選りすぐりの選手が多い中でも出色の存在でした。
堂林翔太が3年夏の大会こそ中京大中京高校が甲子園史上最多の春夏通算11度目の優勝(春4回・夏7回)を果たした特別の年です。
この年、堂林翔太は投手を務め、エース兼4番打者として投打でチームを牽引し、打率.522、12打点、1大会通算最多タイとなる6二塁打を記録し、優勝に大きく貢献した。
チームのキャプテンでもあり、精神的支柱となる存在でもありました。
「ベースボールサイボーグ」の異名をとった堂林翔太は強靭な足腰と多彩な技術を持ち、勝ち方を知っているプレーヤーとして、潜在能力は計り知れないと期待されていました。
後に、広島カープのチームメートとなった磯村 嘉孝選手は2009年に優勝したとき捕手として堂林翔太とバッテリーを組んでいます。
堂林翔太 中京大中京で磯村と2009年日本一!
2009年 中京大中京の全国制覇:伝説の決勝戦
2009年夏の大会での堂林翔太の活躍は人並みはずれており、圧倒的な力でチームを牽引していました。
決勝戦の相手は新潟県の日本文理高校で、この試合でも堂林選手は右中間に先制2点本塁打を放つなど、優勝投手兼4番打者として活躍しました。
試合も9回裏ツーアウトまで10対4と中京大中京が6点リード。あと1人で中京大中京の優勝が決まり、その瞬間は時間の問題と思われたそのとき日本文理高の猛反撃が始まりました。
このときもマウンドにいた堂林に集中打を浴びせ、1点差まで詰め寄り、堂林をマウンドから引きずり下ろしたのです。
堂林は決勝戦の9回ツーアウトまでこぎつけながら最後にマウンドを降りて外野に回り、優勝投手になれなかったのです。
堂林は後から「一球の怖さ」を回想し、いまでも語り継がれる伝説の名勝負となっています。
このときバッテリーを組んだ4番堂林、5番磯村はカープでのチームメートとなっています。
中京大中京 堂林と磯村が広島カープで活躍
中京大中京高校でバッテリーを組んだ仲である堂林と磯村は広島カープでチームメートとなりました。
堂林は2009年のドラフト2位(1位は今村投手)でカープに入団し、1学年下の磯村は1年後の2010年ドラフト5位でのカープ入団でした。
プロ入り時点でのドラフト順位は高い方ではなかったのですが、中京大中京高校では堂林の後を打つ強打の5番打者として2年の春から甲子園の選抜大会に出場していました。
広島カープに入っても、2人に共通しているのは打撃面での期待が非常に高いことです。
2022年7月17日の巨人戦は圧巻で、堂林と磯村がプロ初のアベックホームランを放ち、中京大中京のバッテリーに再びスポットがあたることになったのです。
この日、同校出身の中村健(2021年ドラフト3位)も2人に続いてプロ入り初ホームランを放ち、中京大中京トリオで巨人戦に大勝(10体5)と話題になりました。
堂林翔太 高校時代は投手で4番?中京大中京で磯村と2009年日本一!(まとめ)
広島カープの堂林と磯村はかつて中京大中京高校でバッテリーを組み、打線でも4・5番でチームを牽引していました。
堂林はエースで4番という絶対的存在で2009年の全国制覇では日本文理との名勝負を繰り広げました。