アウンサンスーチーとは?ミャンマーでの役割と人気を分かりやすく!

政治・経済
アウンサンスーチー女史

国際社会や日本からの支援も受けながら民主化が進んだというイメージが先行していたミャンマーで軍事クーデターが起きたことは世界に衝撃を与えました。

与党のNLDの要人と共に拘束されたアウンサンスーチーさんはミャンマー国内で最も信頼され、人気も高く、国際的な知名度の高い人物です。

「母」とも「女神」とも呼ばれ国民の求心力の的になっているアウンサンスーチーさんとはどのような人物か、分かりやすくイメージがつかめるようにとりあげてみました。

アウンサンスーチーさんのミャンマーで果たしてきた役割こそが人気の理由だということも分析し、この機会にミャンマーで最も注目度の高い重要な人物を理解していただこうと思います。

アウンサンスーチーとは:生い立ちと受けた教育について

「建国の父」の娘:アウンサンスーチーさんの生い立ち

ミャンマーは日本の1.8倍の国土面積をもつ多民族国家で、元々ビルマという国名でした。

イギリスがビルマを植民地化し、インド帝国に編入した歴史があります。アウンサンスーチーさんはイギリスの植民地支配からビルマを独立に導いた「建国の父」アウンサン将軍の長女として生まれました。

アウンサンスーチーさんが生まれた1945年6月は第2次世界大戦の終戦の年で、生まれて2年後には父が暗殺されてしまいます。

母は教育熱心な知的レベルの高い女性で、インド駐在大使とネパール特命全権大使に着任したとき、スーチーさんもインドのニューデリーに移り住みます。

その当時、ビルマやインドに住んでいた家庭から欧米諸国に子女を留学させるのは非常に稀だったのですが、スーチーさんはイギリスのオックスフォード大学へ進学します。

大学在学中で画期的なことは、インドの初代首相にもなった学識の深いジャワハルラール・ネルーと親交を深められた影響で哲学や政治・経済を深く学ぶことができたことです。

ニューヨーク移住と結婚後の生活

オックスフォード大学卒業後はイギリスからアメリカに移住し、ニューヨーク大学院で国際関係論を専攻しています。

大学院に在学しながら国連事務局に勤務したのがきっかけで、マイケル・アリスと知り合って2人は結婚します。

2人の息子に恵まれ、スーチーさんは一度は専業主婦になりますが、向学心は尽きることがなく、再度オックスフォード大学に渡り、今度は祖国ビルマの文学やナショナリズムを学びます。

「建国の父」と呼ばれた自分の父の研究を行う必要上、日本語も学んでいます。ちなみにスーチーさんは1985年に日本に来日し9か月研究員として滞在したことがあります。

アウンサンスーチーさんのミャンマーでの人気と役割

ミャンマー帰国後民主化運動に着手

アウンサンスーチーさんはイギリスのオックスフォードで暮らしていましたが、1988年母の危篤をきっかけとしてビルマに戻ります。

その頃のビルマでは独裁政治が続いており、反政府運動が起きていました。

スーチーさんも早速民主化運動を開始し、初めて行った演説では既に50万人の人が集まりました。同時に軍部から目をつけられる存在になっていきました。

国民に影響力のあるのを知ったアウンサンスーチーさんは選挙に立候補し、国民民主連盟(NLD)の書記長に就任します。

しかし、1989年7月から軍部から自宅軟禁を受け、解放されたのは1995年で、それからもヤンゴンの外に出られない、移動の自由を奪われた状態でした。

夫のマイケル・アリスは東洋文化学者としてオックスフォードに住んでいましたが、前立腺癌を発症したときはビルマ帰国を申請しましたが政府はこれを認めず、代わりにスーチーさんのイギリス行きを画策し勧めます。

そうした理由で祖国ビルマに戻っても家族とは離れ離れにしか暮らせなかったスーチーさんは、何度自宅軟禁に遭ってもへこむことなく民主化運動に突き進む姿から、国民の求心力と信頼を一身に集める存在となっていきます。

2003年に3度目の自宅軟禁を受け、解放されたのは2010年と比較的最近のことのようです。

軟禁されて解放される度に熱狂的な歓迎を受け、いつしか国民から(ミャンマーの)「母」と呼ばれたり、「女神」と呼ばれたりします。

アウンサンスーチーさんの国際的評価の高まり

アウンサンスーチーさんの国際的評価も高まり、いくつもの名誉ある賞を受賞していますが、中でもノーベル平和賞(1991年)やフランス大統領からのレジオンドヌール勲章コマンドゥー授与(2012年)が有名です。

アウンサンスーチーさんの拘束や軟禁には国際社会から批判も多く集まり、その中にはニコール・キッドマン、デビッド・ベッカムといった世界的に影響力を持つ人が入っていたため、スーチーさんの軟禁解除や拘束からの自由化に貢献しています。

2015年に実施されたミャンマー史上最も民主的と言われた総選挙で、アウンサンスーチーさんが党首を勤めるNLDが大勝して入閣を果たします。

しかし、ミャンマーの憲法の規定では国会議員と大臣の兼務は禁止されているため、自動的に議員は辞職しました。

しかし、ある意味大統領を上回る国家顧問という新設ポストについたアウンサンスーチーさんは、2021年2月1日からも2期目を担ってミャンマー民主化をさらに推し進めようとしていました。

ミャンマーの軍事クーデターとアウンサンスーチーさんのこれから

2020年11月の総選挙でもアウンサンスーチーさん率いるNLDが大勝し、まさに2期目がスタートしようとしているときに、大変なことが起きました。

2021年2月1日、その日に総選挙後初の議会が始まろうというタイミングを狙うかのように、国軍がクーデターを起こして全権掌握する異常事態となり、スーチーさんやNLD議員の要人が拘束されたのです。

総選挙で不正があったと主張して国軍管轄下でもう一度選挙をやり直すといいながら、自由を抑圧し、言論統制を強いています。

スーチーさんは即座にクーデターに抗議するよう要請し、軍や警察と市民との衝突がこれからの大きな懸案事項となってきました。

アウンサンスーチーさんに全面的信頼を寄せる国民を敵に回し、民主化逆行を懸念する先進国の介入も無視しては、これまでの援助も消失するため最悪の事態に至らないための交渉がこれから続くと思われます。

いずれにしても、今後のミャンマーの情勢から目が離せなくなっています。

アウンサンスーチーさんとは:役割と人気を考える(まとめ)

民主化を進める与党NLDを率いる国民的リーダーアウンサンスーチーさんとはどのような人物かを、生い立ちにさかのぼって見直し、その後の活動で得た熱い信頼が人気の源泉になっていることを分かりやすく考え、分析してみた。

軍事クーデターが起きたいま、ミャンマーの現状とともにアウンサンスーチーさんの消息にも関心が集まっている。

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